サービスの対価

日本と欧米等との間には、サービスに対する価値観に大きな違いがある。

代表的なものでレストランのウェイターやポーター、タクシードライバーなどに対して払うチップがあるが、あれは給料にボーナス的に「上乗せ」されるのではなく、予めチップ分を考慮し、基本給は低くなっている。「モノ」に対する料金に「サービス」の料金という、サービス自体に対する対価を明確にしている所は、ここ日本とは大きく異なる。

もちろん悪いサービスにはチップの額を減らすという事は自分も何度かした事があるが、基本的に皆プロ意識が高く、レストランでオーダーと違うものが出てきた事や、注文してからひたすら待たされるという事は一度もなかった(アメリカに限らず)。

一方で日本は、同じ様なサービスを受けてもそれが当たり前で、どうしても「形のないモノ、目に見えないモノ」に対してお金を払うという感覚はとても薄い。ちなみに音楽をやっていて良く言われる事は「今度楽器持ってきて弾いてよ」という言葉。「今度鍋とフライパン持ってきて料理してよ」とシェフに言うのと同じ様な事だ(例えが良くないかもしれないが)。音楽を飯の種にしている以上、そう言われても、それ易々と引き受けるわけにはいかない。

出来る事をやらないのには、それなりの理由がある。それはまさにその事自体が「商品」だから。それをタダでやってくれというのは、その米ちょうだいと言っているのと同じ様な事だからだ。

同じ様に自分はコンピューター関係の仕事も請け負っているが、そちらも似た状況が多々ある。「キーボードをパチパチやるだけでこんなにかかるなんて」と思われる事は良くあるが、その作業にしても、もっともお客さんにとって良いと思われる方法を考え、下準備をし、要望に合わせ作り直し、その間にも新しい技術やハード・ソフトの情報も仕入れ、必要であればそれらを購入し、最終的にパチパチしている訳であって、実際の作業の時間単価だけで考えられてはとても困ってしまうのだ。

そしてそこに値下げ要求が入る。もちろん状況に応じて多少は値引きするが、それって表面上はニコニコして「それでいいです」と答えるけど、実際はその対価を減らされた分ってのは、必ずどこかにひずみが出てくる。「ここはもうちょっとこうした方がいいかな?」なんて思っても、値引きをしているとそのままにしてしまう。そういう「まあいいや」という感覚を生ませる原因にもなるのが、この無形のものに対する価値観なのかもしれない。人間だもの、そんないつもニコニコ完璧にはできませんよ。

企業なので利益を出す事が優先されるだろうが、サービスや技術に見合った対価をきちんとあげていかないと、出来る人は他へ移っていくだろうし、人材が育たない風土になってしまう。ましてその「さっ引いた」分で高級車を乗り回し、エラそうな事を言われた所で説得力も何もない。人口が増え続けている時代なら、ある意味そういう搾取的なやり方でもいいのかもしれないが、今はその搾取する源泉は減り続けている。恐らく今後もしばらく減る一方だろう。その状況では、今までの価値観をそのまま「伝統」や「風習」という言葉で誤摩化して引き継いでいくのは、ちょっと難しいんじゃないだろうか?

自治体もナントカ協会も、人の金だからとセンスのない無意味なイベントや企画を山ほどしているが、ただの浪費だ。そういう立場の人は一度、個人独立させたらいいんだと思うね。保証もなにもない、自分だけで稼ぐっていう研修を。そしたら対価ってのがどういう事なのか、今より分かるんじゃないかな。今のままじゃ、そのうち誰も相手にしなくなると思う。

とかくこの日本で、少しずつでも無形の対価について意識が高まる事を願いつつ。